
避妊について思い出すことというと、わたしの場合、以前付き合っていた恋人のことだ。
その恋人はとてもきれいで、魅力的な人だったが、生活にはだらしないところがあった。そして、それは肉体関係においてもそうだった。彼女は奔放にセックスを楽しむ人だった。しかし、避妊をちゃんとしているかというと、怪しいところがあった。
一方、わたしは避妊についてはシビアに考えていたので、彼女と付き合うことになってから、避妊をちゃんとするよう心がけていた。彼女はコンドームなしでのセックスを希望することもあったし、今日は安全日だから大丈夫だ、ということもあったが、わたしは信じなかった。安全日、危険日とは妊娠を目指す時に使う概念であり、避妊する時には必ずしも役立つものではないということを知っていたのだ。
しかし、彼女はそんなわたしの態度を几帳面すぎてわずらわしいものと考えているように見えた。あるいは、いま考えてみると、むしろ彼女はわたしの子供を妊娠することを望んでいたのかもしれない。確かめようもないことだが……。
わたしたちの関係が破局したのは、彼女が妊娠したことがきっかけだった。わたしは避妊をちゃんとやってきた自信があったから、その妊娠はショックだった。彼女を問い詰めると、その子がわたしの子供ではないことがあきらかとなった。彼女は浮気していたのだ。
ひと騒動があって、結局、わたしたちは別れることとなった。彼女のことは好きだったが、当然、自分の子供でもない子の面倒を見る気にまではなれなかったのだ。
その後、彼女とは会っていないが、あの時、避妊を避けて彼女に自分の子供を妊娠させていたら、彼女とそのまま付き合うことができたのだろうかと考えることがある。
結局、わたしのやり方は正しかったと言っていいのだろうか。もちろん、その時はまだ妊娠してもらいたくなかったから避妊に気をつけたわけだが……。
いまでも正解はわからないままだ。何が正しいのか、本当にわからない。
(30代男性・教師)